フリーランスとして働く上で、常につきまとうのがお金の問題。時間や働く場所には自由になったとしても、お金にしばられるようではせっかくのフリーランスの醍醐味が半減です。お金を理解し、お金に縛られるのではなく、お金とうまく付き合っていけるようになるためにはどうしたら良いのか、本気で考えてみました。

お金とは一体なんなのか?

最近仮想通貨が話題になりだしてからか、「お金」に関する情報に触れる機会が増えました。改めてお金の本質やその機能、これからの可能性について様々な言及がされています。それらの情報によると、お金には価値交換、価値尺度、価値保存という3つの機能あります。価値の「値」、貨幣の「貨」、財産の「財」、「貯金」の「貯」、「売買」の「買」などお金に関わる多く漢字に「貝」という文字が入っているのは偶然ではないようです。国によってお金の発展は異なるようですが、もともとは物々交換からはじまり、「毎回物もってくの大変だよね、腐っちゃうし。それにあいつが持ってるものは欲しいけど、あいつはおれのものいらないって言うんだ!」となり「保存ができて価値を媒介できる何かをつくろう。そうだ貝殻にしよう!」ということがお金のはじまりと言われています。貝殻も万能ではなく、たくさん持ち運ぶとかさばる、需要が増えると供給がおいつかない、などの理由から、これではダメだとなりました。「価値があり容易に加工可能なもの」として金銀銅が注目され、それが硬貨となったそうです。大きな買い物をするために硬貨をジャラジャラ持ち歩くのも不便だということで、硬貨が紙幣になり現代に至ります。1万円札の原価は約20円だそうです。1万円それ自体に価値があるというよりは、その紙幣に価値交換、価値尺度、価値保存の機能を持たせたことで、また皆がそれに合意していることで成り立つある種の文化なようなものです。現在では紙幣すら持ち歩いたり使うのがいやと言うことで、クレジットカードや電子マネーでの取引が増えています。私が働いた対価として銀行にお金が振り込まれます。デジタルでは額を確認できますが、現物はみていません。そしてクレジットカードで買い物をします。そうすると稼いで銀行口座にあるお金から勝手に引き落とされて残額がデジタルの上で使った分だけ減っていることがわかります。一度も現金そのものを見ることなく、銀行残高が増えたり減ったりする、お金というものはとても不思議な存在です。

実体があることや、紙幣自体に価値があることが重要ではなく、お金は価値交換、価値尺度、価値保存のために皆が合意することで有用性をもった「道具」ということになります。

 

道具としてのお金をフリーランスはどう扱っているか?

生きていくためには、食べ物がいる、寝る場所がいる、着る服がいる、等々必要なものがでてきます。それらを全部自分で用意することはできません。つくる人がいて、流通させる人がいて、それを手の届くところで保管してくれる人がいて、彼らの価値の対価として、「お金」を払います。全員に直接払うことができないので1人に払えば分配されることがほとんどです。何か食べ物を手に入れようと目の前の人に払うお金を自分で作り出すことができません。そのため何かしらの「労働」の対価としてお金をもらい、それを保存しておいて、適切に使っていくイメージです。

フリーランスで仕事をして稼ぐということは、生きるため、また幸せを感じるために対価として支払わなければならないお金を、自分の価値を提供することによって得ることです。

 

お金があることは良いことだが、お金がある人が素晴らしいわけではない

生まれた瞬間からお金に恵まれたA先輩

私の先輩に、背が高く、イケメンで、スポーツ万能で、文系の世界最高学歴なスーパーな人がいます。私がその人ともっとも差を感じた点が、「親がスーパーお金持ち」という点です。彼が望んでそうなったわけでも、努力で勝ち得たわけでもありませんが、事実として家がお金持ちなのです。その先輩から生まれて初めて「生前贈与」という単語を聞きました。生前贈与とはどうやら親の資産が多すぎて、死んでから相続すると大変なので、生きているうちに一部を相続する仕組みのことのようです。その仕組みでマンションを何棟か贈与をうけたようです。「部屋でなくて棟か!!」と突っ込んだことを記憶しております。その贈与を受けたマンション収入だけで、外資コンサルティング会社の管理職レベルの家賃収入が入ってくるようです。これぞまさしく「寝てても儲かるチャリンチャリンビジネス」です。当然その先輩なりに、色々な苦労や努力をされてきたと思うのですが、望む望まないにかかわらず事実として「親が金持ちだった」「お金が重要な資本主義の時代に生まれた」ことは、良い悪いではなく、ひとつの特徴として事実存在し、その人の人格形成や生活に大きな影響を及ぼしています。

小さい頃にお金に恵まれなかったB先輩

今度は別の先輩の話です。A先輩とはうってかわって極貧の家庭に育ったそうです。詳しくは知らないのですが、母子家庭で幼少期には満足に食事もできなかったようです。そこでいわゆる「ハングリー精神」が養われました。就職活動の時期が、ITバブル時代とマッチしたこともあり、勢いのあるITベンチャー企業に就職をします。比較的育ちの良い高学歴な人が多いその会社で、誰よりもハングリー精神を発揮して圧倒的な結果を残します。そして独立をして資金調達をして、上場準備をして、黒字化をして、一見輝かしいサクセスストーリーですが、どうもそうは見えません。お金に恵まれてこなかった分、お金に対する執着が異常なのです。もちろん営業マン、経営者としてはポジティブに働く部分も大いにありますが、それゆえに失敗したり苦労されていることも多いようです。

 

お金は不平等な指標。でも稼ごう。

こうみていくとお金はなんて不平等なのだろうと思えてきます。上記2人の先輩のどちらが良いとか悪いとかではありません。ただ、私という1人の人間の周りにもこんなにお金の分配のされ方や考え方に差があるという事実です。そして多くは本人の努力とか、能力とかそういうよりももっともっと大きなコントロールできないところで決まっています。好む好まざるにかかわらず、この時代に日本に生まれて生きていく以上このルールの中で生きていく以外選択肢はありません。そして現代の日本の社会はお金が重要な社会です。そもそも配られたカードがあまりに差があったとしても、できることがあるとすれば、自分に与えられた手札を少しずつ更新していって、少しでも心身ともに裕福になっていくことです。私がこれまで10年間血反吐を吐きながら身につけた能力を、365日死に物狂いでフルアウトプットしても、A先輩の寝てても振り込まれる生前贈与の家賃収入を超えることは難しいです。だからといって嘆くわけではなく、そういう不平等も受け入れた上で、「では私はどうやって稼ごう」ということに知恵をしぼり、行動していくのみです。

稼ぐ原則は「価値を提供し、対価としてお金を得ること」

ビジネスにおけるお金の稼ぎ方には原則があります。「価値を提供して、その対価として提供価値に見合ったお金を得る」ということです。あくまで原則ですので例外はたくさんありますが、基本は変わりありません。それではどうやれば稼ぐことができるのか?それは「提供価値を上げる」ことです。当たり前すぎて退屈な結論ですが、具色にそれをやるしかないと思います。しかし効率が悪いかというと、そんなことはありません。というのも、この世の中に、もっと稼げるようになるために、提供価値を高めよう!としている人が、どれだけいるでしょうか?私の周りにはそんなに割合としては多くないように思います。必要にせまられていないので、その必要がないのでしょう。というと、逆に、目指すだけで相対的に優位になり、価値とはそもそも相対評価なので、かなり高い確率で今よりも稼げるようになると思います。提供価値をよく考えると、「誰に、どんな価値を提供するのか、ということになります。」

誰に価値を提供するのか?

どんな価値を提供するのか?

お金はこれからどうなっていくのか。

お金は人間が作り出した創造物です。もちろんこれによって画期的に文明が進化したことは疑う余地もないですが、当然至らない点や結果もあります。「民主主義は最悪の制度だが、他の制度と比較をすると最高である。」と誰かが言ったそうです。お金も万能ではないですが、現時点では絶対的なポジションを確立しているので、そう簡単にはこれに代わるものは生まれないと思って居ます。仮に生まれたとしたらお金ではなくその新しい何かをめぐってお金と同じことがおこると思います。そのため、価値の尺度がお金であるこの時代を生きるのであれば、少なからずお金と向き合い、多くの価値を提供してお金を稼ぎ、またそのお金をつかって新しい価値を生み出していく、ことの繰り返しがフリーランスとして働くという活動そのものだと思います。